輸出バスに魅せられて 第一回

11月29日をもちまして全国バスデータベースの記事数が5000件を超えました。いつも見て下さり本当にありがとうございます。今後とも精進してまいります。
今回は5000記事を記念し、管理人(コアラ)がバスにハマるきっかけとなった車について紹介しようと思います。

第一回~出会い編~
第二回~元事業者特定編前編~
第三回~元事業者特定編後編~
最終回~元車番特定編~


2年ほど前、筆者はニュージーランドに留学していた。
毎日スクールバスで通学しており、日替わりで様々な車に乗っていた。なお、当時はそこまで海外のバスに興味がなかったので意識していなかったが、今見返すと結構な種類の車に乗っていたようだ。

FBP39
Mana Coach Services newlands営業所所属 7165号車
Kiwi Bus Builders×scania K280UB6 2009年式

APH981
Mana Coach Services Porirua営業所所属 71号車
Kiwi Bus Builders×volvo B10M 2002年式

そんなある日、帰ろうとしていると先生から呼び止められる。
「あなたが乗る予定のバスは壊れてしまったみたい。代車を出すから待っててね。」
仕方がないので待つこと数分、「代車」がやってきたらしいのでバス停へと向かう。
やってきた車がこちら。

どっかで見たような顔立ちである。やたらと感じる既視感の正体に気づかぬまま、とりあえず乗ってみる。そして視線を左に向けると、

そこには、慣れ親しんだ言葉で書かれた銘板があった。
なるほど58MCだったのか。58MCの人生初乗車がニュージーランドで成されるとは思わなんだ。

興奮冷めやらぬままに車内を見渡す。日本時代の名残が出てくる出てくる。

南太平洋のど真ん中で、日本語の「お願い」は誰に伝わろうか。きっと前事業者時代のままなのだろう。

惜しい!英語は併記されているが肝心のボタンが付いていない。ちなみに車内前方にはボタンが付いたままの物も存在した。押したらどうなるのか興味もあったが、さすがにそんな勇気は湧かなかった。

禁煙ステッカーは辛うじて今でも効力がありそうだ。黄色い乗務員札差は使われていなかった。
おそらく乗務員札という概念自体こちらの国に存在しないのだろう。

数秒分しかないが走行音を録音した。
なおスクールバスなので私語も混ざってしまっている。

車内を物色すること数十分。バスが目的地に到着したので降車する。

降りた後になって気になったことがある。この車は元々どこで働いていたのだろうか。日本国内なのはわかるが、会社を示すものは何一つ残っていなかった。

第二回~元事業者特定編前編~に続く

コメント