平成最後の御召列車

平成がテーマということですが、5月までの数ヶ月間「平成最後」というフレーズを聞かない日はなかったのではないでしょうか。今回はそんな平成最後の御召列車を取り上げたいと思います。
御召列車とは皆さんご存知の通り天皇陛下がご乗車される列車を指します。御召列車の歴史は古く、実は鉄道開通よりも昔なんです。日本初の鉄道が新橋ー横浜に開通する3ヶ月前、明治5年7月に、明治天皇が試運転列車に御乗車されたのが御召列車のはじまりです。そこから今日に至るまで、御召列車は走り続けてきました。
昭和時代は、道路網が完備されていなかったことや、昭和天皇が鉄道を好まれていたことなどから、数多くの御召列車が走ってきました。しかし平成に入りすっかりモータリゼーションも進み、道路網も整備されたことや、御召列車の運行でダイヤ変更など市民生活に影響が出ることを好まれなかった現上皇陛下の意向もあり、御召列車の運行頻度はかなり少なくなってしまいました。そんな貴重な平成最後の御召列車を見てきたのでご紹介します。

 

現在の上皇陛下は在位中最後の地方訪問として4月17日から19日にかけて三重県の伊勢神宮を訪れ、譲位のご報告をされました。それに伴い運行された列車が平成最後の御召列車です。

午後1時に皇居を出発され、東京駅日本橋口へいらっしゃいました。

 

三種の神器のうち皇居にある天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が5年ぶりに持ち出され、こちらも御召列車に乗せられます。ですので今回の御召列車は天皇皇后両陛下だけでなく、三種の神器も乗っている非常に珍しい列車な訳です。ちなみにこのうちの剣は形代(かたしろ)といって、簡単に言ってしまえばレプリカで、本物は愛知県の熱田神宮にあると言われています。しかし、形代といえども大昔に作られた非常に由緒あるものです。たとえ天皇であっても見ることができないので実際に中身がどうなっているのかは誰も知りません。三種の神器のうち八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢神宮にあるため、剣と勾玉の2つが皇居から持ち出されました。

日本橋口で東京駅長の出迎えを受けた両陛下はJR東日本の東北新幹線 日本橋口改札から入場され、専用通路を通り東海道新幹線の16番線へ向かわれます。ホームにも陛下を一目見ようと多くの人が集まっていました。

ピカピカに磨かれたN700系 G43編成にご乗車される天皇陛下

見送りに来た人々ににこやかに手を振られていました。

こうしてごった返す東京駅をお召し列車は一路名古屋へ向けて出発していきました。

2日後、天皇皇后両陛下は伊勢神宮参拝を終え東京へ戻ってこられました。全検明けのようにピカピカで、おそらくパンタグラフも交換されています。

これが正真正銘平成最後の御召列車です。しばらくすると両陛下が下車され、往路と同じように日本橋口へ向かわれました。この日は平成最後の御召列車であると同時に、一般人が皇居外で天皇陛下にお目にかかれる最後のチャンス(昭和天皇陵参拝とみどりの式典がありましたが一般人は立ち入れないため東京駅が最後)とあって1時間以上前から多くの人がホームに詰め掛けていました。天皇陛下は出迎えた一人一人に向かって手を振られていました。

そしてついに!天皇陛下がこちらを向いてくださいました!ファインダー越しでは勿体無く、途中からは撮るのをやめてこちらも手をふりかえすほど感動してしまいました。

余韻に浸っているのもつかの間、なんと皇后陛下がわざわざ振り返ってこちらに手を振ってくださったのです!2時間前から張っていた甲斐があったというもの。平成を生きて来て平成最後に天皇皇后両陛下にお目にかかれたことをとても光栄に思いますし、一生の思い出となりました。

見にくくて申し訳ないですが、この座席が天皇陛下がお座りになっていた座席です。グリーン車の座席に特別な布がかけられています。ガラスの反射がひどくこの程度しか撮影できませんでした。

以上が平成最後の御召列車のレポートとなります。

5月1日に新しい天皇陛下が即位し、元号も令和となりました。先日、令和初の御召列車が東京ー京都間で運行され、御召列車は新たな時代を走り始めました。 6月11日には上皇陛下が譲位後初の地方訪問として京都に向かわれます。こちらは御召列車ではなく、御乗用列車といいますが興味のある方は一目見に行かれてはいかがでしょうか。

鉄道開通から約147年。時代は明治から大正昭和平成を経て令和へと変わり、鉄道は蒸気機関車から気動車、電車、新幹線と変化してきましたが鉄道の利便性は変わらず、御召列車は走り続けます。新しい令和の時代はどんな御召列車が走るのか期待が高まりますね。

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