雨~視点(私点)を変えてみた~

私は個人的に、雨という天気はあまり好きではない。というのも、雨の降る日は、外を十分に練り歩くことができないし、路面は滑りやすくなってしまう。ただ、それ以上に肌にまとわりつくような暑さがどうも耐えられないのである。

ただ、入梅した関東地方に住んでいる私は、これから数ヶ月(数週間かもしれないが)の間、じめじめとしたこの暑さと闘わなければいけないのである。
そう考えると、若干滅入ってしまいそうではあるが、こんなときには、自分の視点を変えてみるのも一つの手かもしれない。

例えば、日本では、一つ「雨」といっても、その中には「霧雨」や「豪雨」、「小雨」などといった様々な表現の仕方がある。非常に細分化された天気の言葉は、その言葉を聞くだけで目に情景が浮かぶようである。視覚的にその変化を楽しみ、また言葉に表してみるのは、何とも言えない趣がありそうである。

また、視覚的にだけでなく、嗅覚を使用した楽しみ方もあるかもしれない。例えば、海沿いで降る雨には若干の塩気が含まれているし、山で降る雨には、土ぼこりが含まれていて若干泥臭いようにも思える。どこから降ってきた雨なのか、その雨がどこへ行くのか。それを考えるのも楽しいような気がするのである。

最後に、逆転の発想とも言えることも一つ実践してみたい。それは敢えて下を見る、ということである。近年では「歩きスマホ」が日常のものとなりつつあり、片手に通勤かばん、その反対の手でスマートフォンという歩き方がいわば主流になってきている。

しかしながら、雨の日はそうも行かない。通勤するときにかばんを持たずに行くことはできないし、だからといって、大事な書類が入ったかばんを濡らすこともできない。ゆえにスマホを持つ手は自然と「傘を持つ手」へと変化する。

ただ、雨の日はどうしても街中は混雑する。時間に余裕を持つことも重要ではあるが、やはりそれでも、足どりが早くなることは簡単には望めない。

そんな時、敢えて地面に目を向けてみるのはいかだだろうか。雨が水たまりに落ちて、波紋が広がっているかもしれない。蛙が跳ねているかもしれない。誰かの靴がぬれているかもしれない。

きっと、新しい世界が待っているのだろう。

雨は昔から変わらずそこにいる。きっと、これからも私たちのことを見守っているに違いない。

そんなことを考えていた私に、電車の車内放送が声をかける。

「本日は、傘の忘れ物が大変多くなっております。忘れ物に十分ご注意ください。」

さて、今日はどんな日が待っているのだろうか。

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