おいで佐賀の境界線【三島のテーマ縛り探訪記③】

国鉄佐賀線 筑後川橋梁

かつて、佐賀県の県庁所在地佐賀と鹿児島本線の瀬高駅(福岡県)を結ぶ国鉄佐賀線という路線が存在していました。漁船の修理から始まったといわれる木工細工、家具産業が盛んな福岡県の大川という町を通ったこの路線は貨客ともに利用が多く、全盛期には熊本と長崎をこの佐賀線経由で結ぶ急行「ちくご」も運転されていました。しかし、トラック輸送への変化や自家用車利用が高まり(いわゆるモータリゼーション)、佐賀線が渡っていた筑後川に諸富橋・大川橋の2道路橋が建設されるといよいよ需要が低下したため、国鉄の民営化を前にした1987(昭和62)年に廃線となりました。
そんな佐賀線のなかでも路線のシンボル的な存在であったのが先ほど述べた筑後川を渡っていた橋(筑後川橋梁)です。佐賀線は筑後川のほぼ河口付近を跨いでいるのですが、ここでは干満の差が激しい有明海の影響をもろに受けるため、橋を架けてしまうと満潮時には船舶が通行できなくなってしまいました(当時は船舶輸送が今よりも盛んでした)。そこでこの橋は一部を可動式とし、船舶通行時に橋桁の一部が本体から別れて垂直方向に上昇する「昇開橋」という方式が採用されたのです。この珍しい橋は廃線後も保存され、現在でも整備されているとのことなので、今回はその橋を訪れてみました。

東洋一の可動式鉄橋

電車を降り立ったのは西鉄天神大牟田線の柳川駅。川下りでも有名なこの町から出発します。リニューアルしたばかりなのか、キレイな駅でした。

ここからはバスに乗車します。ちょうど駅を8000形が通過していきました。執筆している今では過去の車両となりましたが、西鉄バスの旧カラーとよく似合っています。
最寄りのバス停は大川橋バス停です。ちなみに本記事からは外れてしまうため書きませんが、昇開橋に行く前には大川の木工文化や家具製造の様子を見学させてもらいました。こちらもなかなかオススメです。
路地を川に近づくようにてくてく歩くとすぐに特徴的な赤い橋が見えます。
これがお目当ての昇開橋です。高い鉄骨の柱が、港にある大きなクレーンのようにも見えます。

筑後川橋梁(佐賀線)
施工年:1935(昭和10)年
桁の属性:可動橋(鋼製プレートガーダー13連(うち1可動)、鋼製ワーレントラス2基、鋼製吊上塔2基)
長さ507.2m、(可動部24.2m)
所属・管轄:国鉄→(財)筑後川昇開橋観光財団
使用終了年:鉄道線としては1987(昭和62)年
使用終了理由:路線の廃線
経年:85年・実働76年
特筆事項:1996(平成8)年に再整備、遊歩道として現役、2003(平成15)年に重要文化財

昇降しない部分はシンプルなガーダ橋であるようです。端部が特徴的なプレートガーダは「舟底型プレートガーダ」と呼ばれるものです。これは架け替え時に橋脚側の桁座の改築をしなくて済むような利点があり、1930年代より各地で用いられました。
橋の入り口までやってきました。ここには現役時に筑後若津駅がありました。
早速渡っていきます。橋がガーダからトラス橋に切り替わるといよいよ昇開橋の本丸です。
入り口には事務所があり、保存会の地元の方が定期的に橋の昇降操作をしています。ちょうど着いた頃が最後の渡橋時間が終わって橋を上げる時間だったのですが、渡って先に向かいたいと話したところ特別に一度上げてからすぐに下ろして頂けるとのことで、幸運なことに目の前で昇降する様子を観察することができました。
ゆっくりと橋が釣り上げられて…
橋桁の下が余裕で見えるほどに上へと上がっていきました。橋桁の昇降差は23mもあり、竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれたそうです。ちなみに列車通過以外は船舶が優先されることが取り決められていたようで、上昇した位置が本来のこの橋の定位置であったそうです。(ちなみに今も通常時は上昇しています。)
可動橋を支えるワイヤーと滑車。可動部の自重は48トンで、そこに20トンのウェイトが両鉄塔にぶら下がっていて動作をし、平衡ワイヤで橋の左右のバランスを維持しています。
今度は降りてきて…
ギギギギギ…
見えてきた…
ドッキング!
渡れるようになりました。なみなみと水を湛えた筑後川。先に見えているのは大きな中洲で、ちょうど県境はこの写真のあたりであるようです。下流域の筑後川はこの橋を越えたあたりで早津江川と別れて有明海に注ぎます。
橋を渡ると佐賀の地を踏みます。個人的な話ですが佐賀県初訪問は橋を渡って自分の足で…という形になり謎の感慨(?)を覚えました。
訪問時はまだ修理中でした。昇開橋は佐賀線廃止時に解体が検討されていたようですが、佐賀県側の諸富、福岡県側の大川それぞれから橋の存続要望が強く上がったことから保存が決まり、1996(平成8)年に遊歩道として整備されたそうです。そして保存運動が実り2003(平成15)年に国の重要文化財に指定、2007(平成19)年には機械遺産に認定されました。遠くに見える鉄塔。
踏切警報器が保存してあります。
この先の廃線跡は「徐福サイクルロード」として整備されていて探索も容易ですが、今回は橋だけで切り上げ、歩いて国道まですぐに抜けました。
諸富橋バス停で徒歩は終了です。
バスで佐賀駅に到着。佐賀駅の端部にはかつて佐賀線が出発していた0番線の跡が残っています。
帰りの長崎本線から一枚。しばらく路盤が並走している様子が車窓から確認できました。
佐賀エリアはハローサイクリングのポートも複数あり、昇開橋の佐賀側にはおあつらえむきにポートが用意されていたりもするので、今度は佐賀線全線を自転車と徒歩を駆使して探索してみたいです。

探索終了。
追記:久しぶりの執筆にもかかわらず、別の探索なりなんなりをしていてすっぽかしてしまい予定より投稿が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。。

コメント