元号が変わる。平成生まれの私にとって改元は未知の体験だった。初めての瞬間をどう過ごせばいいだろうかと考えていたところ、友人から皇居前で改元を迎えないかと誘われた。その人としばらく会っていなかったこともあって二つ返事で快諾した。
だが、ただ皇居前に赴くだけでは面白くない。ちょうどそのとき、HELLO CYCLINGがGW10連休キャンペーンで特典付きポートを全国に拡大していることを知った。当該ポートで借りるまたは返却すると1日1回に限り120円分のクーポンがもらえるのだ。
そこで、皇居付近の特典ポートで自転車を借り令和を迎えたのち別の特典ポートに返却することにした。元号をまたいで自転車を借りるついでに、ちゃっかり240円分のクーポンをゲットしようという算段だった。
ところが当日神田駅で電車を降りると雨が降っていた。自転車になど乗りたくない。しかし、今回を逃してしまうと次同じことができるのはいつになるのか。
神田駅から徒歩5分ほどの特典ポートで自転車を見つけたとき、私は自然にSuicaをタッチしていた。
↑相棒となったA9520号車。OpenStreet所属で新製配置はよくわからない。
そしてここでさらなる問題が発覚。なんとバッテリー残量が5%しかなかったのだ。電動アシストが切れても返却できなくなるわけではないが、坂道があったら大変だしなにより夜間なのでライトを常に点けていなければならない。借り始めたことを心底後悔したが後の祭り。友人との約束もあるのでひとまず皇居前へ向かうこととした。
人混みの薄いところを狙って自転車を乗りつける。こんな大バカ野郎など私だけだと思っていたが、驚いたことにドコモ・バイクシェアを小脇にかかえた方が隣にいた。
10秒ほど前からやや焦り気味にカウントが始まり、秒針が真上に上がったところでウェーブのようにれいわーと叫び声が上がった。どこか一体感の欠けた空気感、何一つ先ほどと変わらない現場、不思議な感覚だった。
余韻に浸りつつ東京駅丸の内口に移動して記念撮影をする。路面が街の明かりを反射して何とも美しい。こればかりは雨が降ってよかったと思う。
ふと気づくと0時30分だった。これはまずい。
今日は土休日だから京葉線の終電は0時37分。今から地下ホームに駆け込んだとしてもけっこうギリギリなタイミングだ。で、今日はさらにシェアサイクルを抱えている。どこかに返さないと無限に課金されていくがあいにく東京駅前にポートはない。近くだと神田か新橋だが、神田は先ほど借りたから芸がないし(そんなこと言ってる場合じゃないと思うが…)、新橋はどこにあるのかよくわからないし特典がつかない。というかどちらに行くにせよ京葉線の終電には間に合わないだろう。
結局私はこの雨のなか幕張新都心まで自転車で帰ることを決めた。
とはいえ海浜幕張までは普通に行っても3時間弱かかる。安全を考慮して普段よりゆっくり走るつもりだから所要時間はさらに延びるはず。バッテリーが持つわけない。幸い、電動アシストのバッテリーが切れても返却できなくなるということはないが、一方でそれはライトの電源も兼ねている。バッテリーが切れたら無灯火運転になってしまう。立派な法律違反だ(というか法律どうこう以前に夜道を無灯火で走るなど怖くて出来ない)。
そこでまずは懐中電灯を買うことにした。コンビニの24時間営業はこのためにあったのかと納得する(違
前かごに懐中電灯を置き、上からカバンをかぶせて重石にした。こんな状況だし内容物がどうなるかは目をつぶっておこう。
1時ちょうど、いよいよ出発。道はよく分かっていないのでとりあえず銀座方面に向かう。そこから豊洲方面に抜け、国道357号線に出ようと考えたのだ。東京と千葉を結ぶ大動脈だから交通量が多く安心感を持てる。そしておそらくは国道14号と違って全区間しっかりした歩道が整備されているだろうという魂胆だった。
銀座は何度か歩いたことがあるので無事に豊洲方面へのバス通りに合流。とはいっても都05-2などとうの昔に運行を終えている。自家用車だけはまだ走っている脇をひたすら進んだ。
大橋のところで歩行者を一人抜かした。終電を逃したのだろうか。豊洲あたりの人は歩いて帰るという選択肢がある。さすがタワマン民の特権と思ったが、ずぶ濡れとタクシーの深夜料金を天秤にかけねばならないのは逆に酷かもしれない。
ゆりかもめの青い高架橋が見えてくるとほどなくして357と書かれたおにぎりが現れた。ここからは道に迷わないはず。第一関門クリアだ。
ちょっとでも雨を避けたくて上り車線側の歩道を走る。信号に引っかかったらりんかい線の高架下に逃げ込めばいいわけだ。
1時50分、新木場駅を通過する。日中でも高架下で薄暗いところなのだが、真っ暗で何がなんだかわからず、同じ場所の気がしない。こんな状況が終着点まで続くと考えたらゾッとした。とりあえず進もう。
新木場を過ぎたところで上り車線の歩道が消えた。反対側の歩道は東関東道の陰でどうなっているかよく見えない。と、建物と京葉線高架の間に不自然な空間が見えた。こんなところに追いやられたのかと不憫に思って颯爽と駆け込んだら勢いよく警報音が鳴り響いた。慌てて戻りおとなしく反対側に移る。
やはりこの時間でも幹線道路は通行量が多い。ビュンビュン過ぎ去るトラックたちは私を応援してくれているようだった。
荒川河口橋の坂を登る。自転車から降りたくなくて思わず電動アシストを入れた。主要国道沿いは交通量が多いため歩道橋の出番も増える。バッテリーの残量が気になるところだが、小さな路地に迷い込んで延々出られなくなるよりはマシなのでこのまま進もう。ただ時折歩道橋すらないところもあるからな…。
葛西臨海公園の手前でついにその事態は発生した。交差点まで来ても歩道橋の存在はわからなかった。戻るのは面倒なのでそのまま脇道に入る。近くの横断歩道で道を渡って戻ってくればいい。バッテリーの温存にもなるし。
一向に横断歩道が見つからない。国道357号線を進むことすら間違っていたかもしれないと思い始めたとき、視界が急に明るくなった。まさかもう夜が明けたのかと思ったがさすがにそんなはずはない。ゴルフ場の光だった。こんな時間にゴルフ…?って感じだがコーンという球を打つ音はたしかに聞こえてくる。まさか幽霊のしわざではないだろうし…。
一本の横道を越えるだけで5分ほど要したろうか。対岸についてみると厳然と歩道橋は存在した。立派すぎて存在に気付かなかったらしい。バッテリーを消耗しなかったことだけが唯一の救いだ。
2時10分、旧江戸川を越えて千葉県に入ったところで、ふいに背中がぞくりとした。時刻はちょうど丑三つ時。何かの霊だろうか。自分に危害を加えないのならしばらく取り憑いてくれてもいいが、さすがに家までお持ち帰りする気にはなれない。どこかで祓い落とさねば。
霊への怖さからかあるいは本当に取り憑かれてしまったのか、次第にテンションがおかしくなって漕ぎながら一人で実況を始めた。「この横道は…あーよかった横断歩道があったー…」自分の意識が確かなことを確認するような行為、今考えると恐ろしい。
境川橋を越えるところでついに電動アシストのバッテリーがゼロになってしまった。いや、正確に言うと先ほどからパネルはゼロを指し示していたのだが、ここでついにアシストを感じられなくなってしまったのだ。ここからは己の力だけで進むしかない。まだまだ道のりは長いが、無事たどり着けるのだろうか。
海楽の県道242号線との交差点にさしかかった。ここはさながらジャンクションみたいになっていて前から関心があったが、夜間に走るとなると話は違う。絶対にホームレスが寝泊まりしてるだろうという昼間でも人気のなさそうな道を進まねばならないのだ。道端には「ちかん注意」の看板。この時間帯なら僕でも痴漢に遭いかねない(※個人の感想です)。怯えつつ一気に駆け抜けた。
江戸川(放水路)も越えていよいよ勝手知ったる道に入る。だが、そこは昼間でも薄暗い、高速道路高架下の仮設みたいな道。出発前から存在を恐れていた。海楽のジャンクション同様サッと駆け抜け…たいところだったが、何度も坂が襲ってくる。3段変速では到底太刀打ちできず、ついに地に足を下ろした。
3時、二俣新町のあたりを過ぎる。実は今日(というかとっくに日付跨いでるので昨日)は諸事情あって3時起きだった。起床から24時間経過し、いよいよ意識は限界を迎える。なんとかこのまま無事にたどり着きたいものだが…。
おそらく最後の関門になるであろう海老川大橋の坂を登る。今までのどの坂よりも長い。トラックがお構いなしに向かってくる。最後の力を振り絞って登り切った(まだ先があるのは気にしちゃいけない)。
3時20分、南船橋駅に到着。空が白み始めてきた。高架下のスペースに入って一休みする。なぜか急に雨が収まったが、ここまでの疲労ですぐには動けない。そうこうしているうちに雨は再び強さを取り戻した。雨男の本領発揮だ。
普段ならここから湾岸沿いの県道15号を進むのだが、車通りがどれほどかわからないし、仮に車通り十分だったとしても歩道が植栽で車道から隔離されていて心もとない(いちど日の落ちた頃に歩いたが、本当に真っ暗で動けなくなりそうだった)。そのまま357を進むことにした。
トラックがビュンビュン通る隣をひたすら走り、新習志野駅の裏手まで来た。牛丼屋から出ようとしたクルマと接触しそうになる。いよいよ限界かもしれない。
ここで357と別れることにした。イオンモール沿いの道でも交通量はありそうだし、なにせ勝手を知っている。車通りが多いとはいえ暗く閉ざされた357の歩道には嫌気がさしていた。
いつも通っているという安心感ともうすぐ到着するという高揚感から次第にスピードが上がる。
4時、海浜幕張南口の三井アウトレットパーク幕張前①に自転車を返却する。たしかここは海浜幕張エリアで唯一特典ポートに指定されていた。意識薄れる中こういうところだけきっちりやるほどがめつい人間だったっけと自分が嫌になる。
懐中電灯で自転車に異常がないか確認し、4時間半余にわたる平成令和シャトルは完結した。写真など撮る余裕もなかった。
自宅に戻り利用履歴を確認するとクーポンは120円ぶんしかついていなかった。おそらく1日というのは日付ではなく24時間のことを指しているのだろう。おかげで利用料金が1000円で収まったのは不幸中の幸いだった。
以来、A9520号車の姿は見かけていない。過酷な旅に付き合わせてしまった謝罪にこんど明るいうちにどこか景色の綺麗なところに連れて行ってあげたい。ただその前に雨運の強さを祓ってもらわねばならなそうだ。
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